あるオタクの雑想録

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(ネタバレあり)君たちはどう生きるか?~感想という名の雑想

~~~WARNING(この記事は表題作品「君たちはどう生きるか」の深刻なネタバレがあるため見たくない人はここで回れ右してとっとと映画館へ行ってください)~~~

 

公開にあたってのプロモーション一切なし、予告の公開もなし、しいて言えば金曜ロードショージブリ作品放送の際にちらっとうたわれるのみという、完全新作映画としては異例の形で公開されたスタジオジブリ宮崎駿監督最新作「君たちはどう生きるか

 

スラムダンクは「スラムダンク」という作品の劇場版アニメであることが分かっていたけども、今回はスタジオジブリ宮崎駿監督作品、題名くらいしかわからんという混迷ぶりでジブリ×宮崎駿というネームバリューがないとできない公開方法であるし、空前絶後の試みだと思う。

 

そんな異例づくしの作品ではあるが、ともかくスタジオジブリとアニメーションに育ててもらった者としてはお布施しないとアカンということで、事前の情報は一切なしで観に行ってきた。

 

……結果、カルピス原液のような、薄めない宮崎駿エッセンスの濁流のような作品であったのでまとまらない考えをまとめつつ雑想を書きなぐってみることにした。

 

 

~~~~~~~~以下ネタバレ区域~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず断っておきたいのだが、この映画は全く子供向けではない。

それは「君たちはどう生きるか」という昭和教養主義の代表的作品から名前をとったという一点だけで鼻の利くファンには分かるのだろうが、劇場ではポニョ的なものを期待したと思われる子連れ(未就学児)のお客さんが少ないながらいて、少しかわいそうな気分だった。

 

なにしろ始まり方からして強烈でまったく未就学児の鑑賞には適さないのだ。

 

苛烈な本土空襲、それによる病身の母親の焼死。現代の残酷絵ともいうべきタッチで空襲と炎の恐ろしさを表現しつつ、主人公である牧眞人は喪失を胸に大都市圏から田舎へ父(CV:木村拓哉)と疎開してゆく。

この時点でもう未就学児の鑑賞には適さないのだが、映倫のレーティングはG、年齢にかかわらずだれでも見られるということになっている。

映画「君たちはどう生きるか」の映倫区分は年齢にかかわらず誰でも観覧できる「G」と発表 - GAME Watch

個人的には小学2年生くらいまでの子には少し早い内容なのではないかと感じたが、それはまあ置いておいて。

 

この冒頭を見せられたとき、これは宮崎駿の世代的な経験の物語なのだと想像したのだが、その想像は当たらずとも遠からずといった感がある。

 

■プロローグ

1年後、父の田舎へ疎開したときに、母そっくりの叔母である夏子(CV:木村佳乃)が登場し、お腹にすでに赤ん坊がいることがその口から告げられる。

代々の資産家で軍需産業で財をなす父は悪人ではないけれども、眞人と心を通わすには至っていない。

空襲で母が死んでしまう悪夢に苛まれ、にもかかわらず夜帰宅した父と後妻である母の妹(夏子)と口づけを交わす場面を目撃してしまう。

※ものすごい余談だがこのシーン、暗い階段上から口づけを目撃する眞人を写して彼ら二人の口づけの音が下階からするという演出で残酷で淫靡な場面を切り取っている。これはこの年代の男の子にとってはトラウマになりそうだよね

 

慣れない土地、慣れない使用人の関係、慣れない食事、継母との微妙な関係に悩みつつ、学校では案の定浮いてしまうし、彼自身も父の気を引くために悪意をもって自分を傷つけることをする。怪しい喋るアオサギに翻弄されつつも、亡き母の残した「君たちはどう生きるか」を読んで感銘を受けた眞人は、消えた夏子を取り戻しに怪しいアオサギの誘いに乗って異世界に往く……というのがプロローグ。

 

文章にしてしまうと短いのだが、ここまでのいわば導入部分が今までのジブリ作品と比べて尺が長いので少しテンポが阻害されている感があった。監督の言いたいことは存分にでていたので作品理解のためには必要だったのだと思うが……

 

異世界への冒険、黄泉の世界へ

アオサギに誘われて入り込んだ世界は地底、黄泉の世界。

死者のほうが多い世界であり、これから「上」の世界へ向けて生まれる存在もいるし、ここへ落とされたと思しき存在であるペリカンの一族もいる。

何より死んだ母親の死因はおそらく間違いなく焼死であるわけで、これをイザナミと結び付けて考えたくなってしまう人は多いんじゃないかと思う。火を扱うヒミ=母親の若い姿であるし、眞人にとっては疑似的恋人でもあるわけで。

それと同時に夏子も彼にとっては新しい母親であり、キリコ、アオサギと世界の秘密を知る旅をするにつれて夏子への態度も軟化してゆき、産屋から退出させられる際には夏子お母さんと呼ぶに至っている。

産屋の禁忌は出産の際の血を穢れとみていた習俗の延長戦にあること侵入の禁忌といったところであろうか。あるいは産屋=子宮のメタファーであるからなのか…

 

異世界からの帰還、眞人の選択とこれから

大叔父(頭が良すぎて塔に消えたと現世で語られるヒト)のいうこの世界(黄泉)を継げ、この世界を悪意のないものへ作り変えて主となれというメッセージに対して、頭の傷を指して自分は悪意ある存在であるからこの世界を作り直す資格がないとしつつ現実の世界で友達をつくって暮らしていくことを選択するシーンがこの作品のヤマ場であろう。

都合よく作り変えられる異世界=創作に溺れる、囚われるのではなく、現実をしっかりと生きて変えてゆくこと、これこそが現代を生きる我々=観客に対しての宮崎駿からの「君たちはどう生きるか」という問いかけであると感じる。

(これ、図らずもアニメ作家として弟子筋にあたる庵野監督のシンエヴァのラストともリンクするような内容になっているような……)

 

眞人の選択、インコの大王のとんでもないやらかしにより黄泉の世界は崩壊し、ヒミとキリコはもといた年代に帰り、友となったアオサギと眞人も現実の1945年に帰還する。

異世界ものによくある話だが、期間後には記憶から消えてしまうハズがその世界のもの(石とキリコを象ったお守り)をポケットに入れて持って帰ってきたことによって記憶が継続していることに驚くアオサギは、友達であることを宣言して物理的にも記憶からも去ってゆき、キリコも老婆の姿で現実に帰還し大団円を迎える。

 

終戦の二年後に父と新たな母となった夏子、生まれた弟と田舎を旅立つ眞人は「君たちはどう生きるか」を携えているのであるが、これはこの本が母の贈り物という枠を超えて彼の愛読書、バイブルになったことを意味していて、それは彼が創作の効用を理解し現実との折り合いをつけられるようになったことを示しているのだと思う。

 

繰り返すが、この映画は観た人に「君たちはどう生きるか」という問いを与える教養小説ならぬ教養映画になっており、これまでの宮崎映画の掉尾を飾るにふさわしい作品であると思う。

と同時に、これを受けての監督の次回作を見てみたいとも思う私がいる。

 

個人的には娯楽映画としてはんんん~……な出来なのだが、宮崎駿作品としてはその濃さゆえにサイコーみたいな恐ろしくマニア、というかジャンキー向けな映画になっていてなんとも評価が難しい作品だった。

もう一回パンフレットが出てからゆっくり劇場で観てみたい映画だと思う。

上映時間が長めなので予めトイレに行っておくことを忘れずに……!

 

ーーfinーー

(とりあえず以上だけどもう一度観られたら追記するかも?)