あるオタクの雑想録

日々の思い付きとか考察とかいろいろ

(ネタばれ有)シン・エヴァンゲリオン劇場版で魂が浄化されたそこらへんのオタクの感想

狙ってとったわけではなかったのだが、代休のおかげで比較的早めにシン・エヴァンゲリオン劇場版を観られたので、あのクソいまいましい休日出勤にもたまには良いことがあるもんだと肯定的にとらえてみるテスト。

 

ここからクソどうでもいい自分語りがつづくのでネタバレ感想だけ読みたい方は

ーー強羅絶対防衛線ーー

まで読み飛ばしてほしい。

 

超久々に140字以上の長文を書くので書きたいことが書き切れるのかどうか、それは書き出しの時点では不明なのだが、とにもかくにも久々に書いてみたいと思えることがらができてしまったので書いてみよう。

 

ところでエヴァを語る界隈では、語る人物の年齢やパーソナリティによってとらえ方が違うことを楽しんだりする文化がある……ような気がする。

カメ止めの上田監督の反応を見る動画が話題になったり、古くはそのへんのJKを拉致ってきてTV版を見せて感想を言わせたりする企画がテレビで放映されたり……。

というわけでここで少し自分語りをしたい。

 

筆者は91年生まれの男性。

 TV版エヴァ放映時はまだ未就学児だったためリアルタイムで観ていない。仮に見ていたとしても記憶がないのでまぁ同じだろう。旧劇場版についても同じ。

 

エヴァの存在を知ったのは中2(2005年)のころ、当時住んでいた町の図書館で貞エヴァの単行本のアスカが表紙になっている巻をたまたま読んだのがきっかけだった。

 

そこから見事にハマって貞エヴァ単行本を買いあさり、レンタルビデオ屋で血眼になってDVDを借りたりした。(当時田舎の弱小ビデオ屋にもDVD1式くらいは置いてあった)

その結果、田舎もんのアホで薄甘いミリタリー趣味4流バスケット少年は、すっかり気持ち悪くて痛々しいアホなオタクとなってしまった。

エヴァの社会現象から10年遅れて、思春期ど真ん中の14歳(所謂チルドレン年齢)で”はしか”にかかったとも言えるし、今にして思えばここではしかにかかっておいてよかったとも思う。大人になってからはしかにかかると大変らしいからね。

 

というわけで筆者はぎりぎり「旧エヴァ」で育った旧世代オタクだったりするのだが、社会現象をリアルタイムで経験はしていないという狭間の世代だったりもする。

それ以降は

2007年 新劇場版・序公開(16歳高1)

2009年 新劇場版・破公開(18歳高3)

2012年 新劇場版・Q公開(21歳大3)

2021年 シン・エヴァンゲリオン劇場版公開(29歳社会人)

といった具合にエヴァとともに歳を重ねたわけである。

それにしても2007年から足掛け14年の月日が流れているのには驚いた。そりゃあみんな年も取るしトイレが心配になるわけだ。

 

というわけでこれまで触れたエヴァ作品は主にTV版、旧劇場版、新劇場版、貞エヴァ、各種アンソロ、TVゲーム(鋼鉄のガールフレンド綾波育成計画withアスカ補完計画)、ドラマCD、サントラ...…etc

こうして思いつくだけでこれである。頭の先から足の付け根までどっぷりハマっていたことがわかる。

特に綾波育成計画やアスカ補完計画は何十週とプレイしてレイやアスカをおたくにしたりスケバンにしたりデートしたり嫁にしたりして楽しんでいた。

ついでに最初に自分のカネで買ったCDはエヴァンゲリオン放映10周年を記念して発売されたアルバムだった……

 

なお2005年ごろはまだSNSは発達しておらず、思い出すかぎり2chや個人サイト・ブログやお絵描き掲示板などでおたく情報(猛毒を含む)を摂取していたことをここで白状しておく。

LAS、LRS、LAO、LROなどの他人の妄想を読み漁っていた覚えが……頭が痛くなってきた(意味が分からない人は半年ROMるかググレカス

 

さて、そんな訳でそこらへんにいくらでも落ちてる旧世代オタクの考察……になっていない感想のはじまりはじまり~(ドンドンパフパフ~

 

ーー強羅絶対防衛線ーー

さて、ネットが荒れていないことからわかるとおり今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版は、エヴァという難解なパズルの組み立てに人生の余暇時間の数%を費やしたような私のような厄介オタクにとっては史上最もわかりやすいエヴァンゲリオンであることは疑う余地はないと思う。(きもちわるい、というセルフツッコミを我慢できないところがきもちわるい

 

前作Qのときのような唐突な置いてきぼり感はなかったし、もっというなら今回そこらへんの疑問の一部への直截なアンサーもあったし、何よりテーマがいつもよりスッキリ明解だったし、かねてからファンの間で言われてきた内容の答え合わせにもなっているという親切設計ぶりである。

 

というわけで、深みのある考察や提案は氷川〇介先生やユリ〇カに寄稿されているよううな本物の文筆家先生に任せるとして、いちキモオタの表層的な思いつき・感想などを吐き出していこう。

 

書きたい章立てはだいたいこんなん↓

 

■第3村って最高なのでは~トウジ・ケンスケ・ヒカリ・ツバメ

~ポストアポカリプス世界での仮称アヤナミレイが活躍する意味とゲンドウの策略~

 

とにかくみんな納得のトウジ×いいんちょカップルとその娘ツバメ家族がとてもエモい。そして旧型ジムニー(しかも4速マニュアル)で颯爽と登場するケンスケ。

生きててくれてよかったよみんな!ひさしぶり!なシチュエーションでも沈み続けるシンジ。悪態をつくアスカ、猫に興味を示す仮称アヤナミレイ。

それをとりまく第3村の環境というのは厳しくも暖かく、新たな命が生まれるくらいには安定した場所であることが最初に明示される。実家とか故郷のような安心感もある。

ここは旧世代エヴァ深読みオタク的には家庭やら子宮のメタファーなんだ!とか言いたくなってくるところだが、悪い癖なのでこれ以上はやめておこう。

 

シンジ君が徐々に復活していくきっかけとなった仮称アヤナミレイはシンジ君の目の前でLCLに還元していなくなってしまうのだが、これはゲンドウ一世一代の策略だったと思う。

息子に自分と同じ喪失を味あわせることで自分と同じ方向を向いてほしいという思いもあっただろう。もしくはユイの愛情を一身に受ける彼に対する復讐でもあったのかもしれない。

破でシンジに「大人になれ」などと偉そうに言っていたゲンドウも、実は意外と子ども時代のメンタリティを引きずっていることが後のシーンで明らかになるのだが、それを明示するための布石となる重要なシーンでもあった。                                    

 

■大人組の矜持 葛城ミサト・赤城リツコ・伊吹マヤ・加地リョウジ・メガネロン毛その他大勢(ゴメンナサイ

母の矜持を見せつけたミサトさん、躊躇なくゲンドウを撃てるようになったリツコ、「これだから若い男は!」の口癖の意味が反転するシーンが印象的なマヤ、まったくそんな風には見えないのに誰よりも熱い男なのが明らかになった加地リョウジ(父)、その他のメガネロン毛、WILLEメンバーの抱えてる感情も丁寧に模写され、かつ消化されていったのが個人的にはとても嬉しかった。最後のエヴァンゲリオンにふさわしい内容だったと思う。

旧作からのファンはニヤリとさせられる内容も多く、オールドファンへのご褒美としてはかなり良かったと思う。

そういえば今見てる「Q」の1:07:07あたり、サードインパクトの爆心地、リリスの成れの果ての十字架の上に例のVTOL機の残骸が確認できる。これは加地さん(父)が特攻したことを明示するものだったのか……という新たな発見が。9年越しの謎解き(小ネタ)解明である                                                                                                                                                               

 

■裏宇宙(精神世界)での壮大な親子喧嘩、その演出効果について

~さすがの特撮オタクぶりを示した庵野監督、あの演出の心理的効果について~

あの箱庭感、心理的な袋小路とそれを打ち破る演出としてあれ以上に適切な表現ってない気がするんですよねえ。

 

■とにかくブレない冬月先生

ユイくんには会えたかね?

というのはともかく、もうゲンドウの嫁と化している冬月先生がいとおしい。

それにしてもマリの正体を知っている冬月先生はやっぱり食えない男だよなあと思ったりもする。

 

■シンジの再生と成長・ゲンドウの過去と悔悟から見える監督から観客へのメッセージ

~大人になったシンジ、大人になりきれない大人だったゲンドウ~

自分の弱さを認めてそれでも前を向くことを選んだシンジと、自分の弱さを認められずその救いを嫁(ユイ)に求めた挙句、失ってからも 縛られ続けたゲンドウ。

いまこの年になるとゲンドウにもすごく感情移入してしまう自分がいる。とくに本音をシンジに吐露するあの夕日の電車内での会話は心にくるものがある。

 

~ゲンドウとシンジは似たもの親子~

「破」のラストで綾波レイを助けるために初号機を覚醒させたシンジと、どんな手段を使ってももう一度ユイに縋り付きたかったゲンドウは似たもの親子だと思う。だからこそあのような最終決戦を対等に戦えたのではないだろうか。

 

~ゲンドウには徹底的にユイ視点に立つ心持がない件について~

ところでゲンドウ、最初から最後までユイの視点に立った物言いが一切なくて、すべて自分語りに終始している点を考えると、「序」でリツコさんが発した「最近の男は、すべからく自分にしか興味ないのよ」というセリフがでてきたことを嫌でも思い出してしまう。(このセリフの日本語が変なのは散々既出なのでそれに対するツッコミは割愛)

エヴァのゲンドウはリツコ、その前はリツコの母であるナオコとの交際(不倫?)があったり女性をたらしこむ変な魅力があったらしいのだが、シンエヴァではあまりそういった側面は語られていない。今回のシンエヴァでのリツコの発砲シーンでなんとなくそれが示唆されるだけである。もしかするとリツコにも「序」の段階ですでに愛想を尽かされていたのかもしれない。(件のセリフは旧作にもあるのでこれは完全な妄想だが。しかしそういう妄想ができるのもエヴァの楽しみ方の一つだと思う)

 

 

■レイ・アスカ・マリ ~ヴィーナスたち、美しく~

綾波レイは母の分身であり、届きそうで届かなかった初恋の人であり、 シンジに立ち直りのきっかけをくれた友人でもあり……ううむなんか切ない存在だよね。

心をわしづかみにされてしまう魅力があるよね。アニメ史に残るヒロインだと思う。

破の心がポカポカするレイもかわいかったけど、田植えレイもかわいかった。

 

アスカは新旧エヴァを通じてリアル14歳のときはシンジのことが好きだよね。特にシンエヴァでそれが明示されたのはよかったと思う。

「あの頃、あたしはアンタのことが好きだったんだと思う」

このセリフが聞けただけでも号泣モンですわよ。

シンジからも、あの旧劇エヴァのラストシーンの海岸でアンサーがあったのもよかった。ラストのあと、アスカはきっとケンスケと幸せになったんだろう。そう信じられる模写が随所にあったので自分の心も晴れた気がする。お幸せにアスカ……

 

マリはすごく飄々とした部分がある女の子で、サバけているところがすごく好感度高いんだよね。匂いにこだわりがあるのかすぐに人のにおいを嗅ぐところはなんだか動物っぽくてかわいい。

そんなマリがいつも口ずさむのは昔懐かしの昭和歌謡ばかり、だいたい登場からしチータの「三百六十五歩のマーチ」だからね。一体お前はいくつなんだ。

エヴァでゲンドウと一緒に京都大学の冬月ゼミにいる模写があるから実年齢は(ry

というのはさておき、成長したシンジ君が劇中最後に選んだヴィーナスが彼女だったというのはシンエヴァを1回しか観ていない自分にはちと理解が追い付かないのだが、大人になったシンジ君と並走できそうな事情通のリリン(もどきなのかもしれないが)は彼女しかいなさそうなことを考えると納得のカップリングなのかもしれない。

 

■それでも残った謎

~マリって結局ナニモンなの~

で、結局謎が残るんだけど最大の謎のひとつはこれだと思うんだよね。

京大冬月ゼミの一員にして(貞エヴァ)、ユイの友人でもあり、ゲンドウのことも知っている(ゲンドウ君と呼ぶ)んだから当然いい年になっているハズなのに「破」の時点でも容姿が変わってない。ここから「Q」までの間エヴァに搭乗したことで「エヴァの呪縛」によって外見が変わらないのはまあいいとして、あのエンディングではシンジと同じく少し成長した姿で登場する。

これはやはり彼女も使徒なりなんなりの類だったんじゃなかろうか。エヴァが存在しない世界になって初めて呪縛から解き放たれて人間=リリンに戻れた、みたいな。

冬月先生が発した「イスカリオテのマリア」という真の名前と思しき名前も含みありまくりである。

 

~唐突の渚司令~

カヲル君!?カヲル君だよね???

やっぱり月面に並んでた棺みたいなものはカヲル君がループしていることを表していたんだねえ、へぇ~と思っていたら唐突に出てくる加地さんがカヲル君のことを渚司令などと言い出したりする。カヲル君はゼーレの裏番長だったのかしらん。凡人のわしには理解が追い付かないよ。

しかし、とにもかくにもカヲル君にも救いは訪れたようなのでそこはよかったと思おう。

 

■そして未来へ

~声変わりしたシンちゃん、その口ぶりと視点~

彼が適齢期の段階でエヴァンゲリオンが実写化したら、シンジ君役として真っ先に名前が挙がっていたであろう神木隆之介氏がラストの大人シンジの役を担当していたというのはファン的には思いもよらないサプライズだったと思う。

大人シンジはマリに対して「そういう君もかわいいよ」などと軽口を叩けるくらいに成長しているのだが、これによって更にあれから年月が経過していることをその容姿とともに観客に見せつけることに成功している。そして、これは本格的な声変わり後の男性ボイスでないと成り立たないわけで、そういう意味でうまい具合に少年の面影を残した大人の声を出せる神木君の起用は庵野監督の慧眼であったと言わざるを得ない。うーむすごい

 

~やっぱりあった実写パート~

大人シンジとマリが電車から降りたった世界は実写の山口県宇部新川。ドローンで撮影され、駅を出た二人からパンしてティルトアップしていく画面に映る無機質で巨大な工場群、俯瞰で見える群青色の海と突き抜けるような蒼穹、そして地上の街路樹のわずかな緑が織りなすコントラスト。エヴァンゲリオンという現代の叙事詩を終えるのにふさわしいロケーションではないだろうか。

そして同時に現実に戻れという監督の声が聞こえるようなシーンでもある。

過去幾度も「現実に戻れ」というメッセージを発し続けてきた庵野監督だが、今回のラストによって大多数の観客はようやく「エヴァの呪縛」から本当に解き放たれるような心持を覚えたのではないだろうか。

庵野監督の故郷だということだが、監督の内面を写すアニメ、みたいな語られ方をする作家性の強い作品であるエヴァだけに、その終わりに監督自身の原風景・心象風景を持ってくるというのはそりゃマッチングするよなあ。つよい。

 

とにかくこの突き抜けるような前向きなラストシーンのおかげで私のような厄介オタクは浄化・成仏できるわけである。(長かった思春期の終わりになぞらえる向きがあるのも納得)

もちろんそうじゃないヒトもたくさん居るんだろうが、25年という歳月のおかげでようやくエヴァンゲリオンというエンタメ史に残る巨大な作品を監督も我々観客も消化することができた、その象徴となるシーンになる気がする。

 

庵野監督は巨神兵の夢を見るか~

庵野監督、次回作はシン・ウルトラマンだといわれているが、その次に来るアニメの新作が今からとても楽しみだ。ナウシカの続きをつくってくれないかな。巨神兵の夢を見たい。

 

とゆーわけで、いつのまにか人生5合目くらいまで来てしまった限界オタクのシン・エヴァンゲリオン劇場版の感想でした。

まだ劇場で1回しか観られてないので、2度3度と観るたびに感想は変わってくるのかもしれないけど、ひとまずはここで筆を置きたい。

いい大人になって何に対しても熱を失ったおっさんに、貴重な時間を割いてまでこれだけぐだぐだ感想にもならない駄文をつらつらと書かせる時点で相当な名作ですよ今回のシン・エヴァは。生きて劇場でこれを観られてよかった。

 

 終劇

(加筆修正するかもしれないけど)